京都府宇治市の永代供養墓のある墓地

葬儀の後、初七日から四十九日迄の法要を行う意味を教えて下さい。

故人は、亡くなられた日を合わせて49日の間、後生(来世)を定める為の修行をされます。その間に、七日毎に定まった仏様に逢われに行かれます。

その際に行うのが、初七日忌や二七日忌等です。総称して、お逮夜(おたいや)法要といいます。

遺族にとっては、故人の冥福を祈り、喪に服する期間であり、忌中といいます。

その期間を終えることを、忌明け(きあけ)といい、四十九日(しじゅうくにち)の法要を営みます。

 

七日毎に逢われる仏様

  • 初七日忌(しょなぬかき)…不動明王(ふどうみょうおう)
  • 二七日忌(ふたなぬかき)…釈迦如来(しゃかにょらい)
  • 三七日忌(みなぬかき)…文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
  • 四七日忌(よなぬか)…普賢菩薩(ふげんぼさつ)
  • 五七日忌(いつなのか)…地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
  • 六七日忌(むなのかき)…弥勒菩薩(みろくぼさつ)
  • 七七日忌(しちなのかき:四十九日)…薬師如来(やくしにょらい)

 

それぞれの仏様について、また故人が仏様に逢われどのような修行をされているのかを説明していきます。

 

不動明王(初七日)

恐ろしい形相をし、右手には剣、左手には縄、背には火をまとい、片目を閉じていらっしゃる仏様です。

恐ろしい形相は、人間の心にあるたくさんの煩悩や邪悪な心をいましめる為。

右手の剣は、煩悩や悪い人間関係を断ち切る為。

左手の縄は、邪悪な心や苦しめる悪いものを縛る為。

背中の火は、外敵や心の煩悩を焼き払う為。

また、開いた片目は一筋に迷うものを見つめ、閉じられた目には母のような慈愛の涙がうかんでいます。

故人は、不動明王の前で過去の懺悔をされます。

 

釈迦如来(二七日)

紫がかった金色をしていて、三十二相・八十好種(さんじゅうにそう・はちじゅうこうしゅ)という特徴を備えておられます。

三十二相・八十好種とは、人相・手相・骨相や足相など三十二の気高い相と八十の美しい特徴をもっておられることです。

全てのものに慈悲のこころをかけ、どのような人の懺悔でも聞き入れ改心させなければならない役目を持っておられます。

故人は、不動明王の前で懺悔したように、ここでも前世の行いを懺悔します。

 

文殊菩薩(三七日)

「三人寄れば文殊の知恵」の文殊菩薩です。

獅子に乗り、右手に剣を持ち、左手に経典を持っておられます。

右手の剣は、物事を正しく判断する知恵の力を与える為。

左手の経典は、真理の聖典であり、世の中の仕組みやものの道理が記されております。

故人は、文殊菩薩さまに知恵を授かります。

 

普賢菩薩(四七日)

やさしい顔立ちをし、白い象に乗っておられます。

白は清くけがれがないことを表し、象は大きくやわらかな体をしていますが、とても辛抱強く、いつも落ち着いています。これは、相対する者へ清くやさしい慈悲の心を持って辛抱強い人になるようにと願っておられます。

普賢菩薩は、施し・戒律・忍耐・精進・精神集中・智慧の獲得による修行で悟りを開かれました。

故人には、修行で得たすべての事を授けて下さります。

 

地蔵菩薩(五七日)

地蔵菩薩とは、私たちと非常に馴染み深い「お地蔵さま」のことです。

大地の蔵という意味の名で、五つの徳を持っておられます。

  • どのようなもでも平等にのせる。
  • 万物を生み出す。
  • 万物を育てる。
  • じっと我慢する。
  • 全てを包み込む。

大きな徳をもった地蔵菩薩は、苦しみをもつものの根源を取り、徳を与えて下さります。どのような所でも参られ、すべてのものを救われます。

故人においても、持っている苦しみを取り、徳を授けて頂けます。

 

弥勒菩薩(六七日)

慈愛の仏様であります。

お釈迦様と堅い約束をされています。

お釈迦様が涅槃に入られてから五十六億七千年後に、お釈迦様の代わりに、この世の人々の救済を誓われています。

故人は、ここでは慈愛のこころを授かります。自分自身の悟りだけでなく、他のものの悟りへの

手助けを教わります。

 

薬師如来(七七日・四十九日)

左手に薬壺を持ち、右手は印を組んでおられます。

薬壺からは、その方に応じた薬を取り出し与えて下さいます。

右手の印は「施無畏の印(せむいのいん)」といい、手のひらを外に向け、親指だけ折り曲げているものです。この印には、「あなたの不安な心や、恐怖心を取り除きますよ」という意味が込められています。

故人は、これまで仏様のお導きにより、懺悔し、知恵を授かり、苦しみを取って頂きました。

この四十九日には、薬師如来により後生が定まる前に、最後の確認を下さいます。

そこで、まだ苦しみが残っている場合、それを折り除いて下さいます。

 

 

故人が、仏様に七日毎に逢われ修行を行っておられる49日間は、大変重要なものと考えております。遺族の方の都合もありますが、七日毎の法事・法要での供養を行って頂くようお願いしております。

供養をするということは、善行を積むことであり、それは功徳を積むと同じ意です。

功徳は、故人の魂を磨き、一緒に遺族の方の魂をも磨きます。

ただ、世間体で供養をするや、自分自身に返ってくるからというような気持ちではなく、損得ではないところで、心から故人への感謝の念を持ち、冥福を祈り喪に服すのが大事です。

どうぞ、そのこころを持って、ご供養頂ければ幸いです。